行きたいリスト
まちなかの会津戊辰戦争を偲ぶ
戊辰戦争ゆかりの地を訪れる旅
敵兵を葬った西軍墓地、かつて城下町を仕切った郭門、歴代藩主が愛した御薬園など、歴史スポットを歩いてみよう。
全行程:2時間
START
会津若松駅から鶴ヶ城方面へ徒歩約10分
周遊バス「ハイカラさん」(駅前バス停乗車)⇒乗車⇒(会津伝承館前バス亭)⇒下車⇒徒歩すぐ⇒の場所にあります。
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西軍墓地

薩摩、長州兵など150名が眠る。
  • 西軍墓地
戊辰戦争では、会津藩だけでなく、会津に来攻した西軍にも多くの犠牲者がでました。この墓地は、西軍のうち会津若松付近で戦死した将兵の墓群で、戦争で亡くなった薩摩、長州、大垣、肥州、備州など当時西軍だった人々が静かに眠っています。
西軍墓地から徒歩約15分。
周遊バス「ハイカラさん」⇒(会津町方伝承館バス停)⇒乗車⇒(会津若松市役所前バス停下車)⇒徒歩⇒約10分
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甲賀町口門跡(国指定史跡)

若松城下に唯一現存する郭門の名残の石垣
  • 甲賀町口門跡(国指定史跡)
蒲生氏郷は若松の町割りを行い、城下町を武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られました。甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門の一部です。会津戦争ではここで激しい攻防が繰り広げられました。
徒歩10分
3

西郷頼母邸跡

幕末の会津藩家老「西郷頼母」ゆかりの地
  • 西郷頼母邸跡
西郷頼母邸跡が鶴ヶ城正面の追手町にあります。戊辰戦争では和議恭順を唱え抗戦派に命を狙われ、西軍が城下町に乱入したとき頼母は城下を脱出しましたが、家族ら21人は辞世の句を残して自決しました。妻千重子の辞世の歌「なよたけの碑」は墓とともに善龍寺に建っています。
4

会津藩降伏式(現地に解説板あり)

約1か月の籠城戦を行うも開城となる
  • 会津藩降伏式(現地に解説板あり)
降伏式は西郷頼邸と内藤邸屋敷の間の路上で行われました。
徒歩2分
5

鶴ヶ城天守閣(国指定史跡・若松城跡)

1か月にわたる籠城戦に耐えた城
  • 鶴ヶ城天守閣(国指定史跡・若松城跡)
会津戦争は1か月に及び、多い時には鶴ヶ城に2500発もの砲弾が撃ち込まれましたが落ちませんでした。1868年9月22日会津藩は降伏。城は新政府軍に明け渡されました。
バス11分
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御薬園(国指定名勝・会津松平氏庭園)

戊辰の戦役を免れた藩主の庭園
  • 御薬園(国指定名勝・会津松平氏庭園)
室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだしたこの地に別荘を建てたのがはじまり。大名型山水庭園として国の名勝にも指定されました。会津戦争で新政府軍はここを療養所としたため建物や庭園は戦火を免れました。園内には新政府軍が残した「刀傷」などが今も残されています。
GOAL