さざえ堂(国指定重要文化財) 不思議な二重構造のらせん階段を体験!国の重要文化財 会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)当… READ MORE
会津武家屋敷 会津藩家老・西郷頼母の屋敷を中心に、県重要文化財が目白押し 会津武士道を中心とした会津の歴史、文化の伝承と発信を使命とする施設が「歴史感動ミュージアム会津武家屋敷」です。2300坪及ぶ会津藩家老西郷頼母邸はけやき・ひのき・杉材を使用した和様建築の豪華壮大な造りとなっており… READ MORE
鶴ヶ城天守閣(国指定史跡・若松城跡) 会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」。白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣が甦りました! 鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。明治7年に取り壊されまし… READ MORE
【飯盛山】白虎隊十九士の墓 幕末の大きな時代の流れの中で戊辰に散った白虎隊の霊が眠る 戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、… READ MORE
御薬園(国指定名勝・会津松平氏庭園) 会津歴代の藩主が眺めてきた四季の景色 深として香る日本の佇まいと歴史を映し出す庭園。 江戸時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。今から約600年前の室町時代、霊泉が湧出したこの地に、会津領主が別荘を建てたのが始まりといわれています。後に各種薬草を栽培する薬草園が設けられ、「御… READ MORE
天寧寺・近藤勇の墓 11代葦名盛信の建立により創設。裏手の墓地には新選組の近藤勇の墓があります 応永28年(1422)、会津にきた傑堂禅師が11代芦名盛信の建立により創立した寺。かつては会津曹洞宗の僧録司で、末寺33カ寺、12の寺院をかぞえました。のちに伊達氏の侵攻にあって焼けたため、芦名氏の菩提寺としての… READ MORE
旧滝沢本陣(国指定史跡・国指定重要文化財) 松平容保公が陣を敷き白虎隊士が出陣の命を受けた場所 参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していきました。茅葺きの屋根におおわれた書院づくりの建物は、国の重要文化財に指定され、御入御門、御座… READ MORE
松平家墓所 松平家の歴代藩主が眠る、山腹の広大な史跡 「会津藩主松平家墓所」は、会津藩の二代藩主保科正経公から幕末の九代藩主容保公までが葬られており、昭和62年5月に国の史跡に指定されました。初代藩主の保科正之公は猪苗代町の土津神社に葬られています。このお墓は通称「… READ MORE
茶室麟閣(県指定重要文化財) 千利休の子少庵ゆかりの茶室。庭園の四季を眺めながらお茶が楽しめます! 会津藩主蒲生氏郷の茶道の恩師千利休が自害したのち、氏郷がその子千少庵を会津に招き、茶道振興のため滞在させていたときに建てた茶室。明治7年に若松城解体の際、石州流怡渓派森川善兵衛が政府に願い出て自宅に移築し、保存さ… READ MORE
阿弥陀寺 かつては鶴ヶ城本丸内にあり密議の場所として使われた建物も残る。 阿弥陀寺内にある御三階はかつては鶴ヶ城本丸内にあった建物です。外観上は三階ですが、内部が四層になっており密議の場所として使用されたといわれています。明治3年本丸にあった鶴ヶ城御三階は阿弥陀寺にうつされ、仮本堂とし… READ MORE
如来堂 斎藤一を隊長とする会津新選組死闘の地 新選組殉難の地。母成峠の戦いに敗れた新選組は、北へ向かおうとする土方歳三らと会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。このとき斎藤一は「一トタヒ会津来リタレハ今落城セントスルヲ見テ、志ヲ捨テ去、誠義ニアラス」(… READ MORE
鶴ヶ城 茶道体験ワークショップ 開催期間:①5月18日(土) 流派:表千家同門会福島県支部会津方部 ②6月15日(土) 流派:茶道石州流宗家会津支部 ③7月20日(土) 流派:石州流茶道宗家福島県支部 ④9月28日(土) 流派:茶道裏千家淡交会会津支部 ⑤10月5日(土) 流派:大日本茶道学会会津若松支部 ※諸事情により変更または中止となる場合がございます。 鶴ヶ城で気軽に茶道に触れてみませんか?作法を知らなくても大丈夫♪ 鶴ヶ城内にある「茶室麟閣」は千家ゆかりのお茶室として、茶道文化再興の地として有名です。 そんな茶室麟閣で「茶道体験ワークショップ」が開催されます。 ~気軽に茶道に触れてみませんか?作法を知らなくても大丈夫… READ MORE
蚕養国神社 養蚕守護の神。紅葉の名所。 御神徳養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されています。境内の紅葉は、秋になるととても鮮やかな朱色に染まり、参拝に来た観光客の心を奪います。入口から歩いて進むと石の鳥居が立っ… READ MORE
西郷頼母邸跡 幕末の会津藩家老「西郷頼母(たのも)」ゆかりの地 西郷頼母邸跡が鶴ヶ城正面の追手町にあります。西郷家は重臣(藩祖以来)で戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)でした。頼母は田中土佐と共に会津藩主松平容保(かたもり)に京都守護職辞退を進言し… READ MORE
大龍寺 藩祖保科正之によって開かれた由緒あるお寺。本堂には幽霊の足跡が・・ 宝雲山と号し、保科正之が会津に転封となった時会津に移転してきた「お供寺」の一つです。当時は慶山寺という無住の寺で、そこに山形より正之に従って会津入りした機外禅師が入って開山した由緒あるお寺です。礼法小笠原の祖、小… READ MORE
神指城跡 上杉景勝が徳川家康の会津征伐に備えて計画した未完の城跡 慶長5年(1600)会津領主上杉景勝は、鶴ヶ城の立地が山に近いことを危惧し、周囲が開けていて大川の水を利用できる神指原(こうざしはら)の地に築城を始めました。 しかし、この築城工事が徳川家康に上杉征伐の口実を与… READ MORE
西軍墓地 薩摩、長州兵など150基の墓 大町の会津町方伝承館の近くにあり、戊辰戦争で会津に攻めてきた新政府軍のうち若松付近で戦死した将兵を埋葬しています。1868年の戊辰戦争では会津藩だけでなく、会津に来攻した新政府軍にも多くの犠牲者がでました。戦争で… READ MORE
清水屋旅館跡 新選組副長土方歳三や吉田松陰等が宿泊した宿の跡 新選組副長土方歳三が滞在した宿。宇都宮城をめぐる攻防で足を負傷した土方歳三は、会津藩士秋月登之助が手配した当時格式の高かったこの宿屋に宿泊し、治療しました。このほか、1852年に吉田松陰が東北紀行の途中に宿泊して… READ MORE
蒲生氏郷の墓 会津若松の基礎を作った文武両道に優れた名将「蒲生氏郷」が眠ります・・・ いまに至る城下町の整備と産業を興した蒲生氏郷公の墓が会津若松市神明通りの東裏、興徳寺の本堂東側にあります。瑞雲山興徳寺は臨済宗妙心寺派の寺で、秀吉が奥羽仕置のため会津へきたとき三泊したほどの大寺院でした。墓は空風… READ MORE
おけいの墓 日本人女性初のアメリカ移民「おけい」の墓 おけいは、会津藩軍事顧問のプロシア人、ヘンリー・スネル家の子守役でした。戊辰戦争後、スネルをリーダーとする会津藩士らとともにカリフォルニアに入植しましたが、開拓に失敗、移民団は離散してしまいました。残されたおけい… READ MORE