行きたいリスト
幕末の史跡めぐりと果物狩り
会津の歴史にしっとりを触れた後は、自然豊かな北会津地区の農園でアクティブに果物狩りを楽しむ、欲張り半日プラン。
市内に残る幕末の史跡を巡り、農家民宿での昼食後、市内の観光農園で収穫体験をするコースです。 
果物狩りのお申し込みはこちらから:会津トラベルサービス株式会社:0242-24-6666
全行程:4~5時間
START
会津若松駅からスタート
1

甲賀町口門跡(国指定史跡)

若松城下で十六あった郭門中、唯一現存する郭門の名残の石垣です。
  • 甲賀町口門跡(国指定史跡)
蒲生氏郷は若松の町割りを行い、城下町を武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られました。外濠明治4年に田畑にする条件で払い下げられ埋め立てられました。甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門の一部です。明治から昭和にかけて、城内にあった鐘撞堂が置かれていましたが、第二次世界大戦後城内に戻されました。   
車で5分
2

西郷頼母邸跡

幕末の会津藩家老「西郷頼母」ゆかりの地
  • 西郷頼母邸跡
西郷頼母邸跡が鶴ヶ城正面の追手町にあります。西郷家は重臣(藩祖以来)で戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)でした。頼母は田中土佐と共に会津藩主松平容保に京都守護職辞退を進言しました。そのため容保公から怒りを買い、家老職を解任されました。戊辰戦争がおこると、家老職に復帰し、白河口総督として、戦いますが、「白河口の戦い」で敗れ、会津へ戻ります。その後、長男・吉十郎を連れて会津から脱出します。西軍が城下町に乱入したとき、家族ら21人は、屋敷の中で辞世の句を残して自決しました。妻・千重子の辞世の歌「なよたけの碑」は墓とともに善龍寺に建っています。
車で10分
3

西軍墓地

薩摩、長州兵など150基の墓
  • 西軍墓地
大町の東明寺墓地にあり、戊辰戦争で会津に攻めてきた西軍のうち若松付近で戦死した将兵を埋葬しています。薩摩、長州兵など150基の墓が建っています。1868年の戊辰戦争では、会津藩だけでなく、会津に来攻した西軍にも多くの犠牲者がでました。この墓地は、西軍のうち会津若松付近で戦死した将兵の墓群で、戦争で亡くなった薩摩、長州、大垣、肥州、備州など当時西軍だった人々が静かに眠っています。会津藩にとっては敵であった藩士150名を埋葬した墓地ということを考えると、これも会津藩士の心意気ということができるのではないでしょうか。
車で15分
4

会津武家屋敷

会津藩家老・西郷頼母の屋敷を中心に、県重要文化財が目白押し
  • 会津武家屋敷
会津武家屋敷は江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館(ミュージアムパーク)です。江戸中期の和建築の枠を集めて造られた38部屋ある家老屋敷では各部屋をどの様に使用していたかをろう人形を使ってリアルに再現しています。敷地内には会津歴史資料館、会津の代表的な仏画を中心に展示した美術館・青龍の他、会津・福島の名品を揃えた総合売店「郷工房古今」や会津の伝統的な郷土料理が味わえるレストラン「九曜亭」などが併設されています。

赤べこや起き上がり小法師の絵付体験などもできます。 また、会津武家屋敷、西郷頼母邸や会津の歴史などを楽しく学びながら見学して頂ける探検クイズカード(1枚300円 3種類)を用意しています。 全問正解者には記念品を贈呈いたします。
車で20分
5

農家民宿 穂多瑠(ホタル)

  • 農家民宿 穂多瑠(ホタル)
北会津町の水田に囲まれた一軒家を開放した農家民宿です。
会津の米と野菜を使ったランチがいただけます。 
※要予約
URL:http://www8.plala.or.jp/hotaru/
6

フルーツランド北会津

ゆたかな自然に抱かれてフルーツ狩りと体験農業をお楽しみ下さい!
  • フルーツランド北会津
ゆたかな自然に抱かれた北会津地区に点在する農園で、四季をとおしてフルーツ狩りと体験農業が楽しめます。果物の種類によって、またお出でになる時期によって、おすすめの農園にご案内いたします。いちご、さくらんぼ、メロン、ブルーベリー、もも、ぶどう、なし、りんごなど、種類もさまざまです。もぎたての自然の恵みをお楽しみください。なお、ご予約でいっぱいの場合や、その時期に果物がなくなってしまった場合など、農園にご案内できないことがあります。そのため、お出での際には、ぜひ事前にお問い合わせください。
車で10分
7

中野竹子殉節碑

戊辰に散った娘子隊軍隊長中野竹子の碑
  • 中野竹子殉節碑
戊辰戦争で、柳橋付近で奮戦し戦死した娘子隊軍隊長中野竹子の碑。 昭和13年に会津若松市神指町黒川の湯川橋に建てられました。 出陣の際に薙刀に結び付けていたという辞世の句「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」が刻まれています。
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