行きたいリスト
会津藩主松平家墓所と会津の歴史をそぞろ歩く
会津・歴史めぐり 幕末スポットを歩く
会津には激動の幕末期の舞台になった数々のスポットが点在。
会津藩主「松平容保(まつだいらかたもり)」をはじめ、討幕派と最後まで闘った武人ゆかりの地を訪れてみよう。
全行程:3時間30分
START
お車の場合は東山温泉御宿東鳳を通り過ぎ2つ目のヘアピンカーブの手前に入口があります。駐車場はヘアピンカーブの上すぐにあります。
周遊バス「ハイカラさん」の場合は⇒(院内バス停)⇒乗車⇒徒歩約20分で墓所到着となります。
(石畳や石段等が多くあり、滑りやすく傾斜となっているので歩きやすい服装と靴で安全対策をしてください)
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松平家墓所

松平家の歴代藩主が眠る、山腹の広大な史跡
  • 松平家墓所
静かな森の中に佇む、松平家歴代藩主が眠る墓所。国の史跡にも指定されている名所で、東西500mを超える広い山原に墓地が並びます。新緑や紅葉の時期に散策をかねてのお参りをする人も多いスポット。

会津松平家墓所より山を下って右側(鶴ヶ城方面)にあります。お車の場合は専用駐車場(無料)があります。
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会津武家屋敷

県重要文化財が目白押し 武家の暮らしを見てみよう
  • 会津武家屋敷
家老屋敷をリアルに再現。江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ね、見ごたえ充分、歴史浪漫に浸れる資料館。
会津武家屋敷から飯盛山方面へ向かって歩き看板があるので右折して約15分。お車の場合は道が細く傾斜のありますので、お気をつけください。(駐車場あり)
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天寧寺・近藤勇の墓

無念を抱いた武人たちがここに眠る
  • 天寧寺・近藤勇の墓
戊辰戦争の戦争責任を背負い切腹した萱野権兵衛(かやのごんべえ)や、会津武士の屈辱をはらそうと16歳の若さで切腹した郡長正(こおりながまさ)、新選組局長を務め刑死した近藤勇らが、ここ天寧寺(てんねいじ)に眠る。
天寧寺から周遊バス「ハイカラさん」(奴郎ヶ前バス停)⇒乗車⇒(飯盛山下バス停)⇒下車⇒徒歩⇒約5分で旧滝沢本陣へ到着です。
お車の場合は「飯盛山市営駐車場」(無料)が便利です。市営駐車場には観光案内所が併設されています(営業期間:4月~11月末日)℡0242-33-6030
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旧滝沢本陣

藩主松平容保が陣をおき白虎隊士が出陣の命を受けた場所
  • 旧滝沢本陣
参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していきました。茅葺きの屋根におおわれた書院づくりの建物は、国の重要文化財に指定され、御入御門、御座の間、御次の間などが当時の姿のまま残されており、さらに歴代藩主の愛用した身回り品、参勤交代の道具類、古文書なども保管されています。建物のあちらこちらには弾痕や刀傷があり、当時の戦いの痕跡をとどめています。
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旧滝沢本陣_内部

昔の姿を残す内部と坪庭
  • 旧滝沢本陣_内部
戊辰戦争時の弾痕なども残る。
旧滝沢本陣から「さざえ堂」を経由して歩いて約15分です。登り坂となりますので、足元にお気をつけください。
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【飯盛山】白虎隊十九士の墓

戊辰に散った白虎隊の霊が眠る
  • 【飯盛山】白虎隊十九士の墓
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。
白虎隊士の墓(飯盛山)からは周遊バス「ハイカラさん」⇒(飯盛山下バス停)⇒乗車⇒(阿弥陀寺東バス停)⇒下車⇒徒歩すぐです。
お車の場合はJR七日町駅近くにある「七日町浪漫デッキ駐車場(有料)」が便利です。
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阿弥陀寺(東軍墓地)

新政府軍と協議を重ね埋葬が行われた…
  • 阿弥陀寺(東軍墓地)
戊辰戦争後、残務処理に残っていた会津藩士らにより会津側の藩士の遺体が埋葬されました。その数1281体。
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