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会津を知る

時代を動かした歴史の舞台、会津。激動の幕末を駆け抜けた若者たちの物語や、今も受け継がれる「武士道」の精神は、学生たちに多くの問いと学びを与えてくれます。歴史や伝統文化からひも解く、会津の深い魅力をご紹介します。

会津の歴史

会津は鎌倉時代から江戸時代まで葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの領主が治めた歴史があります。
また、幕末の戊辰戦争では旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗したため会津が激しい戦場となりました。
悲劇として有名な「白虎隊」はこの戊辰戦争でのエピソードです。

歴史の試練と誇りを象徴する「鶴ヶ城」

会津若松のシンボルとして堂々たる姿を誇る鶴ヶ城。会津の街並みを見守るように佇むその姿は、日々の散策や憩いの場として親しまれ、今も人々の暮らしの中で大切に息づいています。その歴史は今から約640年前、武将・葦名直盛が城の前身となる「東黒川館」を建てたことから始まりました。幕末の戊辰戦争では約1ヶ月にも及ぶ敵の猛攻を耐え抜き、「難攻不落の名城」としてその名が広く知れ渡りました。明治時代に取り壊されましたが、1965年に再建。2000年には江戸時代の工法を用いた「干飯櫓(ほしいやぐら)・南走長屋」も復元されました。最大の見どころは、幕末当時の姿を再現した「赤瓦」の天守閣。会津の厳しい寒さに耐える美しい赤瓦を身にまとった姿は、全国でもここにしかない特別な光景です。かつて白虎隊の少年たちも仰ぎ見たであろう荘厳な姿を今に伝えています。
また、天守閣を彩る日本唯一の「赤瓦」や複雑な「枡形」などの防衛構造、強固な石垣からは当時の建築技術や防衛・防災の知識も学べます。天守閣内の最新デジタル博物館での展示を通じて、過酷な激動期を乗り越え現代へと歴史を紡いできた街の力強さを網羅的に把握できます。

命を守り産業を育んだ名園「御薬園」

御薬園の始まりは、今から600年以上も前の室町時代にまでさかのぼります。もともとは、病気で苦しむ農民が鶴の舞い降りた霊泉(清水)の水で助けられたという伝説があり、その特別な場所に別荘が建てられたのがスタートでした。

江戸時代になると、会津藩の殿様たちがこの場所を本格的に整えていきます。特に大きかったのは、二代藩主の保科正経(ほしなまさつね)が「病気で苦しむ貧しい領民たちを救いたい!」という強い思いから、境内にたくさんの薬草を植える「薬草園」をつくったことです。

さらに、三代藩主の松平正容(まつだいらまさかた)の時代には、当時とても貴重で高価だった「朝鮮人参(おたね人参)」の栽培に成功しました。これにより、御薬園はただ薬草を育てるだけでなく、最新の医療や薬の研究をしたり、偽物の薬を見分けたりする「現代の総合研究所や薬局」のような大活躍を見せるようになります。育てられた朝鮮人参は会津の大きな特産品となり、長崎から海外へ輸出されて会津の経済を大いに支えました。

また、1696年には当時の有名なお庭づくりの技術を取り入れ、周りの美しい山々を背景に取り入れた「池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)」という大きな大名庭園に生まれ変わりました。

幕末の大きな戦い(戊辰戦争)が起きたとき、御薬園は新政府軍の怪我人を治す「療養所」として使われました。そのため奇跡的に焼けるのを免れ、江戸時代の美しい庭園の姿や薬草園の歴史を、そのまま現代の私たちに伝えてくれています。

武家社会の組織と美学の結晶「会津武家屋敷」

「会津武家屋敷」は、江戸時代の武士たちがどんな家に住み、どのような暮らしや仕事をしていたのかを体感できるテーマパーク(歴史ミュージアム)です。敷地内には、会津藩の最高役職である筆頭家老(ひっとうかろう)・西郷頼母(さいごうたのも)の広大な屋敷が忠実に復元されています。

34もの部屋がある大きな屋敷を巡ると、殿様を迎えるための豪華な部屋や、家臣たちが働く部屋など、江戸時代の厳格な身分制度や組織の仕組みがよく分かります。また、台所や調度品からは、当時の武家の道具や生活の知恵を学ぶことができます。

1868年の会津戦争の際、この屋敷と西郷一族は大変厳しい運命に立ち向かうことになりました。華やかな武家文化の美しさだけでなく、大切な誇りや家族の絆を守ろうとした武士たちの生き様をリアルに感じ取ることができる施設です。

精神と文武両道を鍛え上げた先進教育「會津藩校日新館」

「會津藩校日新館」は、1804年(文化元年)に会津藩の教育を立て直すために建てられた、江戸時代トップクラスのスーパー学校です。会津藩の武士の子どもたちは、10歳になると全員がこの学校に入学しました。

日新館では、教科書を声に出して読む「素読(そどく)」や儒学などの学問だけでなく、剣術や弓術、さらには日本で最も古いプールの一つとされる「水練場(すいれんじょう)」での水泳や天文学まで、幅広く学ぶ「文武両道」の授業が行われていました。

また、入学前の幼少期から子どもたちが地域ごとに守っていたルールが「什の掟(じゅうのおきて)」です。お互いを思いやり、卑怯な振る舞いを戒めるルールの最後には「ならぬものはならぬ(ダメなものはダメ)」という強い言葉がありました。日新館は、現代の学校や道徳の原点ともいえる「正しい心」と「社会のルール」を育んだ場所です。

会津若松市長からごあいさつ