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史跡・旧跡

◆会津藩主松平家墓所(国指定史跡)
 「会津藩主松平家墓所」は、会津若松市の墓山と猪苗代町の見禰山(みねやま)の二カ所の総称で昭和62年5月に国の史跡として指定を受けました。
 ここには、寛永20年(1973)に会津に入封した保科正之を初代として、幕末の九代容保までの墓があります。
 墓山の墓所は通称「院内御廟」と呼ばれ親しまれています。面積は約十五万平方メートルで、墓域の中腹には西の御庭、中の御庭と呼ばれる墓所があり、さらに石段を上ったところを入峰墓所と呼んでいます。
 初代正之は、猪苗代の土津神社に葬られていますが、西の御庭・中の御庭には、二代藩主正経及び歴代藩主の婦人・側室・子女が仏式によって葬られており、入峰墓所には三代藩主正容から九代藩主容保まで、神式による大きな墓碑が建ち並んでいます。
  • バス停「院内」から…徒歩5分
  • 駐車場 無し
  • 965-0813 会津若松市東山町大字石山字墓山
  • お問合せ 0242-39-1305(会津若松市文化課)

鶴ヶ城(国指定史跡 若松城跡)
 今から650年ほど前に、葦名直盛が東黒川館(ひがしくろかわやかた)を築いたのが始まりといわれ、蒲生氏郷が七層とも伝えられる天守閣を築きました。
 その後、加藤時代に現在のような五層の天守閣になりました。
 戊辰戦争ではおよそ一ヶ月の激しい攻防戦に耐え、難攻不落の名城として知られました。
 天守閣は、明治7年に政府の命令で取り壊されましたが、昭和40年に天守閣を再建、平成12年に干飯櫓と南走長屋を本格復元し、平成16年に天守閣内部のリニューアルを行い一般公開しています。
  • 料金 天守閣内部は有料
  • バス停「鶴ヶ城北口」から…徒歩3分
  • 駐車場 有り(280台)
  • 965-0873 会津若松市追手町1-1
  • 電話 0242-27-4005(会津若松市観光公社)

◆干飯櫓・南走長屋(鶴ヶ城−天守閣併設)
 干飯櫓は、若松城内にあった十一棟の二重櫓の中で、一番大きかった櫓です。会津藩家世実記には「糒櫓」ともあり、その名のとおり食糧庫であったといわれる建物です。
 南走長屋は表門(鉄門)と干飯櫓を結ぶ建物で、武器庫であったといわれています。
 いずれも本丸と帯郭を隔てる重要な建物でしたが、明治七年、天守とともに取り壊されました。以来、この場所には石垣が往時を偲ばせるだけでしたが、平成九年、復元工事を開始し、平成十二年十二月に竣工、平成十三年四月から一般公開しております。

 この干飯櫓・南走長屋は、発掘調査や資料調査に基づいて、その設計が行われ、工事には往時の工法や技術を用いて本格的に復元したものです。
 建築につかわれる材料は、使用する木材は国産材でマツ、ヒノキ、ケヤキ、クリ、スギ等を用い、その中心部の赤身の部分を使用しています。
 屋根瓦は発掘調査により出土した瓦から型を起こしています。若松城では江戸時代初期には黒瓦が葺かれていましたが、寒さのため凍み割れてしまうため、徐々に凍みに強い赤瓦に葺き替えられていったといわれています。
 左官工事も、竹小舞下地から、荒土壁塗、中塗、砂漆喰塗、白漆喰塗など十数工程にも及びます。
  • 料金 有料(天守閣に併設)
  • バス停「鶴ヶ城北口」から…徒歩3分
  • 駐車場 有り(280台)
  • 965-0873 会津若松市追手町1-1
  • 電話 0242-27-4005(会津若松市観光公社)

茶室 麟閣(県指定重要文化財)
 会津藩主蒲生氏郷の茶道の恩師千利休が自害したのち、氏郷がその子千少庵を会津に招き、茶道振興のため滞在させていたときに建てた茶室。
 茶室は三畳台目、下座床の小間と六畳の鎖の間とからなりその二室をつなぐところが水屋となっている。床柱は、小庵自らが削ったものと伝えられている。
 明治7年に若松城解体の際、石州流怡渓派森川善兵衛が政府に願い出て自宅に移築し、保存されていましたが、平成2年に、元の場所である鶴ヶ城内に移築復元されました。
  • 料金 有料
  • バス停「鶴ヶ城北口」から…徒歩3分
  • 駐車場 有り(280台)
  • 965-0873 会津若松市追手町1-1
  • 電話 0242-27-4005(会津若松市観光公社)

御薬園(国指定名勝 会津松平氏庭園)
起源は葦名10代盛久が霊泉の湧くこの地に別荘を設けたことが始まりといわれ、以後歴代の領主の別荘として使われました。
会津2代藩主保科正経がここに薬草を栽培したことが名前の由来とされ、現在でも約400種類の薬草が植えられています。
  • 料金 有料
  • バス停「御薬園前」から…徒歩2分
  • 駐車場 有り
  • 965-0804 会津若松市花春町8-1
  • 電話 0242-27-2472(会津若松市観光公社)

◆旧滝沢本陣(国指定史跡 国指定重要文化財)
白河街道の滝沢峠登り口にあり、参勤交代や領内巡視などの際に休息の場所として使用されていましたが、戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していきました。
 建物は、かやぶき屋根の書院造りで御入御門、御座の間、御次の間など当時のまま保存されています。柱には戦争当時の弾痕や刀傷が残っています。
  • 料金 有料
  • バス停「飯盛山」から…徒歩3分 P有り
  • 965-0003 会津若松市一箕町八幡字滝沢122
  • 電話 0242-22-8525

◆さざえ堂(国指定重要文化財 旧正宗寺三匝堂)
さざえ堂として親しまれ、昇り降りともにらせん状となって同じ所を通らずにぐるっと見学ができ、さざえの姿に似ているところからこの名がつきました。
世界でも珍しい貴重な建物です。
  • 料金 有料
  • バス停「飯盛山」から…徒歩2分 P有り
  • 965-0003 会津若松市一箕町八幡弁天下1404
  • 電話 0242-22-3163

◆白虎隊士十九士の墓
 16〜17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。
 この中の飯沼貞吉だけが、息絶え絶えのところを助けられ、一命を取り留めたので白虎隊の物語が後世に伝わりました。
 しかし、この時鶴ヶ城は陥落せず、約一ヶ月におよぶ籠城戦を戦いました。

 隊士の自刃後、遺骸は埋葬を許されず、哀れに思った滝沢村の吉田伊惣治が、西軍の目を盗んで妙国寺に埋葬し、明治17年にこの場所に十九士の墓が建てられました。その後、白虎隊の戦死者31人の墓が追加され自刃の場や墓所が整備されていきました。
 昭和3年にはローマから記念碑(イタリー碑)が送られ、昭和10年には駐日ドイツ大使館付武官によって石碑(ドイツ碑)が建てられました。また、松平容保の「幾人の涙は石にそそぐともその名は世に朽ちじとぞ思ふ」の歌碑を始め、数多くの石碑が立ち並んでいます。
 昭和32年には、生存者、飯沼貞吉の墓も建てられている。
 毎年4月と9月の24日に墓前祭が行われる。
  • バス停「飯盛山下」から…徒歩5分
  • 駐車場 有り
  • 965-0003 会津若松市一箕町八幡弁天下
  • お問合せ 0242-39-1251(会津若松市観光課)

◆甲賀町口郭門跡(国指定史跡)
 蒲生氏郷は若松の町割りを行い、城下町を武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られました。
 外濠明治4年に田畑にする条件で払い下げられ埋め立てられました。 甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門の一部です。
 明治から昭和にかけて、城内にあった鐘撞堂が置かれていましたが、第二次世界大戦後城内に戻されました。
  • バス停「会津若松市役所」から…徒歩5分
  • 駐車場 無し
  • 965- 会津若松市栄町4-49付近
  • お問合せ 0242-39-1251(会津若松市観光課)

◆日新館天文台跡(市指定史跡)
 会津藩校日新館は、当時全国でもまれに見る設備の整った学校で、文武にわたり専門的な教育を行っていました。
 戊辰戦争でことごとく焼失し、この天文台跡が現在残っている唯一の遺構です。
  • バス停「鶴ヶ城西口」から…徒歩3分
  • 駐車場 無し
  • 965-0875 会津若松市米代1-1-56付近
  • お問合せ 0242-39-1251(会津若松市観光課)

◆妙国寺
 戊辰戦争のとき、会津藩が降伏後藩主松平容保・親子が一ヶ月間謹慎した寺です。
 白虎隊士の自刃後、遺骸は埋葬を許されず、哀れに思った滝沢村の吉田伊惣治が、西軍の目を盗んで最初に埋葬した寺です。
  • バス停「滝沢妙国寺入口」から…徒歩5分
  • 駐車場 有り
  • 965-0003 会津若松市一箕町八幡墓料78
  • お問合せ 0242-25-3337(妙国寺)

◆善龍寺・奈与竹の碑
 会津藩主・保科正之の会津入部とともに建立され、保科家の元祖筑前守正則の霊を守る保科家の菩提所として発展してきた寺です。
 奈与竹の碑は、善龍寺の境内にあり、昭和3年に建立されました。碑銘は自決した西郷頼母の妻千重子の辞世の歌「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」からとったもので、碑陰には戊辰戦争で散った233名の会津藩の婦人名が刻まれている。
 奥にある墓地には西郷頼母夫妻の墓や西郷邸で自決した「二十一人の墓」があります。
 毎年5月1日に奈与竹墓前祭がおこなわれます。

戊辰戦争で花と散った会津婦人の精神を示す碑として戊辰戦争時、家老西郷頼母の妻千重子は、西軍の城下侵入に際し、留守を預かる家老の妻として一家を采配し、16歳から2歳の娘5人、義母義妹2人ともども一族21人が自刃し、辞世の歌「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」を残しています。
  • バス停「青木」から…徒歩10分
  • 駐車場 有り
  • 965-0824 会津若松市北青木13-33
  • お問合せ 0242-26-3022(善龍寺)

◆善龍寺・西郷家二十一人の墓
 戊辰戦争時、家老西郷頼母の妻千重子は、西軍の城下侵入に際し、留守を預かる家老の妻として一家を采配し、16歳から2歳の娘5人、義母義妹2人ともども一族21人が自決したのでした。
 墓は、奈与竹の碑の裏手に建っています。
  • バス停「青木」から…徒歩10分
  • 駐車場 有り
  • 965-0824 会津若松市北青木13-33
  • お問合せ 0242-26-3022(善龍寺)



                   
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TEL:0242-24-3000 FAX:0242-24-4000
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